あゆみ

岡山県作業療法士会の
あゆみ

1.66会、日本作業療法士協会中国四国支部、および発足当事の岡山県作業療法士会

理学療法士及び作業療法士法が公布、施行された昭和40年の翌年の昭和41年、法附則第4項による指定講習会が岡山市で開催されました。
この講習会の終了時に、小林達也、須賀善良、小寺高綱等9名が発起人となり、将来の国家試験に備えての勉強会と情報提供の会として、1966年(昭和41年)の66をとり、”66会”という会を設立しました。これが岡山県作業療法士会の起源です。

昭和41年9月25日、日本作業療法士協会が設立され、昭和46年頃より、同協会定款第3条に基づき、各地で支部が設立されるようになりました。
昭和46年7月25日には、香川労災病院にて、中国四国支部の設立総会が開催されました。会員数35名、支部長に松本妙子(高知)が就任しました。

昭和51年4月18日、中国四国支部総会が開催された際、岡山県内の作業療法士10名で岡山県作業療法士会が発足し、責任者として小林達也が就任しましたが、当時はあくまで対外的窓口で、県等からの情報を僅かな会員に通知する機能のみでした。

2.岡山県作業療法士会の再発足

昭和56年3月19日、日本作業療法士協会が社団法人として認可されました。法人としての定款には、支部が認められないため、中国四国支部は半自動的に解散することになりました。
地方組織は県単位としなくてはならず、また、昭和57年6月3日~4日の第16回日本作業療法学会を岡山県作業療法士会が主管することとなったということもあり、岡山県作業療法士会は会則等を正式に制定し、昭和56年6月19日に再発足しました。

第16回日本作業療法学会実行委員会(昭和55年10月発足)が昭和57年12月に解散するまでは、実行委員会の活動がすなわち岡山県作業療法士会の活動でした。

3.再々発足

昭和60年5月25日、岡山県作業療法士会総会にて、会則を改正、役員を選出し、会費1000円を徴収することを決定し、岡山県作業療法士会は再々発足しました。

毎年、春は総会・新人歓迎会・研修会、秋は研修会を開催するようになり、昭和62年7月14日の理事会では、学術部、広報部、渉外部、事務局を作りました。

昭和63年9月、岡山県作業療法士会ニュース創刊号を発行、平成2年11月25日には学術誌「作業療法おかやま」を創刊しました。

4.法人化

平成2年6月20日、名古屋における都道府県作業療法士会長会議において、各県士会も法人化を目指すよう、矢谷・二代目会長からの要請を受け、小林達也・岡山県作業療法士会会長は、同会を法人化するよう決心、役員会へ問題提起しました。以後、法人化委員会を設け、研究・討議し、平成4年2月1日には、臨時総会にて法人化の決議、平成4年5月30日の総会では、岡山県作業療法士会の解散と社団法人・岡山県作業療法士会の設立の決議がなされました。

直ちに岡山県当局へ申請書を提出し、平成4年7月29日、47都道府県の先頭をきって社団法人の認可がおりました。
平成4年9月6日、寺山久美子・日本作業療法士協会会長を迎えて開催された、社団法人としての第1回総会・研修会において、社団法人・岡山県作業療法士会のシンボルマークが決定しました。応募12作品の中から、長安正純氏の作品が選ばれました。

社団法人となり、当事者能力をもって県民福祉のために寄与する専門職の団体となりました。
その後は、会員相互の親睦・研修にとどまらず、専門性を生かして、地域社会に貢献するという社団法人としての本来の活動を続け、発展しています。